11月12日アップ分


体がいくつも欲しかった

田辺浩昭(猫乃電子出版)

重松さんの基調講演は、子供時代に通った町の本屋さんのことを思い出して懐かしい想いで聴かせていただきました。ネットでの電子書店はまだまだ発展途上で、物質としての本にこだわる限り、なかなか難しい点が多いと思います。
 ネットの中の本屋さんは、大人にはとまどう事ばかりでしょうが、仮想と現実を切り分けられる未来の子供たちはきっと上手く使いこなしてくれるでしょうし、大人達のノスタルジーをも満たす空間ができているかもしれません。
 さて、第1分科会の方にも参加させていただきましたが、出版者でもあり作者でもあり書店でもあり読者でもある私としては、全ての会に参加したく、体が幾つも欲しかったです。
 電子本という物質ではない詐欺のような物を扱っている立場では、今までひとつの物として考えていた単位(例えば、出版社とか本とか読者とか)が全てネット上では解け合ってしまい曖昧模糊であるというのが、皆さんの不安の原因ではないかとぼんやり思います。
 出版社の方々もやがては電子の世界に飛び込まなくてはならないでしょうし、書店もネットに繋がらなければならない時代が来ています。そういった意味で、「本と電子本」は対立する時代ではなく、もう相互に補完しあう時代になっています。
 来年は、新しい本の形についても再びお話できる機会があればよいと思います。


現状を考える機会が得られた

高橋千代 (晶文社 営業部)

 配本について、適正な部数配本を妨げているのは取次任せにしている業界全体の姿勢の問題だ、とのご意見がありました。小売店とメーカーに較べて問屋が、(しかも2つの巨大な問屋が)抜きん出て大きい、というこの業界特有のバランスの悪さもあるのでしょうが、まず、メーカーはあまり大きい部数を作れない。商品の性格上、いたしかたないと思います。
 私の勤務先の小出版社の場合、書店さんへこれから出る新刊案内の葉書を送り、申し込んでくれたお店に配本する「指定配本制」をとっていますが、返答率はさておき、地道に毎度返事をくれるお店のほかに時々「これは目玉になる!」という商品にのみ反応してくれるお店等、ごくたまに、この部数は…とびっくりするような数を入れてくれることがある。返本可能だからできる見込み注文であって、こういう時は痛し痒しなんですね。といって、買いきりにすればおっかなびっくりで置いてはくれないし。で、小社では長いこと続けてきた「指定配本制」を、正しいと思ってきたものの、今はこんな出し方でよいのかと疑いつつやっている、過渡期なのです。数千部では、書店さんの返事を有り難いと思っても、まるごと受け入れられない現実があります。平台、多面やってくれる意気込みには応えたいと思うし。ともかく、小社の案内を見て返事くださる書店さんはすべてなんとかしたい、と思いながら営業はしております。
 南洋堂さんの特化したお店の生き残り方は、データベースを作るきっかけなど、たいへん面白く聞かせていただきました。フタバ図書さんの示された、複合店の充実、リサイクル店との融合、イベント、チラシ活用などは、書店さんにとって当面の大事な生き残り策ではありましょうが、余暇の奪い合いというより、本屋、図書館を身近に感じること、読書の習慣を根付かせることが1番大事かと感じます。子どもさんへの読み聞かせもその一つだし、周りに本がいつもあるのが自然、という人々が増えること。

「黙って本見て行って勝手に買って行ってくれるお客さんこそが、店には1番有り難いんだよね」と、たしかジュンクの福嶋さんが仰った言葉は、ほんとにその通りで、そんなお客さんが出版業そのものを支えていると思う。ベストセラーや、広告、切り抜きなど持って一目散に店員さんに向かって来るお客さんは、ほかの本には目もくれない人が多いのではないか。何を買っても、これが次なる読書習慣へとつながっていくといいのですが。
 現状を考える機会をいただけて良かったです。有難うございました。

 

11月10日アップ分


文学は商品として成り立つか
藤本 篤子(青空文庫)

 本が売れない、特に、小説が売れないという。にもかかわらず、作家志望者の数は、いっこうに減らないらしい。「作家」というものは、それほどまでに魅力的な職業なのだろうか。そもそも、「作家」とは何者なのか。文学作品は商品なのか。
 日頃、そんなことをあまり深く考える機会はない。第二分科会では、この素朴かつ根元的な疑問に、歴史的背景をふまえて、正面から取り組んだ。
 作家が小説を書き、出版社がそれを本にして書店が売り、読者が買って読む。この当たり前の関係が成立しなければ作家は職業として成り立たない。しかるに、職業作家成立までの歴史を振り返ると、この幸福な関係が何ごともなく成立していた時期は、ほとんどなかったようだ。
 新規読者層の開拓による「濡れ手に粟」の時代と、安売り競争による出版業界の自滅とを2度繰り返し、現在は3度目の出版不況のただ中だ。オンライン書店、デジタルコンテンツの出版社などを交えた戦いが始まっている今、3度目の起死回生は成るのか。興味深いところである。

 「出版クラッシュ」と呼ばれる業界の現状とは別に、この分科会に参加して私個人が考えたのは、「本は、いわゆる『商品』なのか」ということだった。
 「作家はどのように作られたか」という歴史を振り返ってみるとき、「商品としての作品を書き、それを売って報酬を得る」という職業の歴史は、さほど古くはないようだ。しかも「作家は高収入である」というイメージは、何度か出現した「バブル」の時代に作り上げられたものであり、そうでない時期のほうが長かったらしい。むしろ、出版社が自らの利益のために、作家という「生活に困っている人々」を利用して作り上げた幻想が、現在一般にとらえられている「作家像」であるようだ。
 おそらく作家という職業は、そもそも、本という商品を売って生活することでは成り立たないものなのだろう。役者やミュージシャンが「表現に対する報酬」を得ることを生業としているなら、作家も同じく、商品ではなく表現に対する報酬を受け取るべきなのだろう。役者はビデオテープを売るのが仕事ではなく、ミュージシャンはCDを売るのが仕事ではないように、おそらく、作家は本を売るのが仕事ではないのだ。
 物質的なかたちを持たなくても本というものが成立する時代、慌てるのは「かたち」を作ってきた出版社だけなのではないか。読みたい人の手に本が届かないという事情が、本離れを促してきたなら、作家たちは今後、読者の手に直接本を届ける仕組みを模索していくのではないか。商品としての本に対する代価が得られないなら、ウェブサイトを開いて広告を集めるなど、スポンサーを得て生活を成り立たせる道をひらこうとするのではないか。いまこそ作家たちは、出版社が作り上げた虚像から決別し、新たな作家像を作り始めるのではないか。

 過去二度の出版不況は、出版社主導でバブルの再来をもたらした。インターネットの時代を迎えた今、こんどこそ、主導権は作家の手に移るのではないか。話をききながら、そんな気がしてならなかった。
 次の機会には、ぜひ「本のデジタル化と今後の作家像」についての考察をききたいと思う。


 

11月8日アップ分


事務局側の不手際
みね

 はじめまして。みねといいます。

 自分の立場から書きます。
 自分は某メーカー関係会社勤務のプログラマであり、出版業界との接点は、ゼロです。
 したがって純粋に読者という立場で参加しました。

 e-mail で申し込みをしたのですが、その申し込みの mail に対してなんのリプライがなかったことが最大の不満です。
事前申し込みが必要であり、かつ名前/住所/職業/電話番号の記入まで求められたのですから、必ずなんらかのレスポンスがあると思っていました。
送信側からちゃんと相手に mail が届いたかどうかは技術的にわかりません。
したがって、会場で参加者リストの中に自分の名前を見るまでは本当に行っても大丈夫なのか? ちゃんと mail は届いているのか?全然違うところに mail が行ってて個人情報が洩れてたら?と不安でした。
#かなり本気で名前はハンドルのみにして#住所や電話番号はデタラメを書けばよかった…と思ってましたよ。

 参加した感想なのですが、文章を書くのに慣れていないのと上手くまとめられなかったのとで
http://www.nmit.gr.jp/~m-mine/book/hon2000.html
書きました。あんまりきちんとした文体ではないです。

 上記のレスポンスなし、ということにかなりムカムカきていたのとみなさん誉めるばっかりなので、反対なことを書いてやる、という天邪鬼根性が出ています。

それでは失礼します。            


書店に仕入れの自由を
匿名希望

 パネリストの言葉の中に出てくる「配本」が、書店業界からなくならなければ、書店は変わらない。商業としての書店が成り立つためには、本来の物販の姿に戻し、仕入れの自由、売る自由、売らない自由を手にすべきだ。もっと専門書店が増えることを願う。


出版社から見た書店
匿名希望
 私は立場的には小出版社だが、書店さんの話は大変面白く、逆に版元の抱える問題も見えてきた。流通における構造的な問題は、出版界のほとんど全員が感じていることなのに、なんとかできないものだろうか?
 小出版社なので、各書店を回って一冊ずつ営業するわけだが、福嶋さんの話にあったように各一冊ずつを棚に置いてくれるわけではないでしょう。担当レベルでは必ずしもそうではないと思います。また、すべての書店員さんが本を大事に扱っているとも言い難いのでは?返本の状況を見ればよくわかります。


出版界の原点
吉本直子(ヨシモト新企画)
 山本芳明氏の話の視点は、大変新しく、しかし根本に関わるもので、興味深く聞いた。講談社、小学館、新潮社などの管理職たちも、こういうことを改めて勉強し直して、原点に立ち帰ってほしい。あ、もちろん取次のおじさんたちも。


 

11月6日アップ分



本屋は街の文化の核
帰山健一(会社員)

 今までずっと参加したかったのですが、鳥取での開催でしたのでなかなか叶わず、今回は東京・神保町ということで、やっとの初参加でした。
 参加セッションは、第2部のパネルディスカッション「読者・街・書店」。パネラーの4氏は、同じ本屋でも性格や特長が異なり、さまざまな視点での発言は、とても興味深いものでした。
 南洋堂書店はネット販売も行っていて、その部分への言及がありましたが、「クリック&モルタル」でもあくまで「モルタル」部分に重きが置かれているように思われました。
 ブックス隆文堂の高橋氏の発言は、まさに街の本屋の原点のように思います。CRM、とかワン・ツー・マンとかいうマーケティング手法が持て囃されていますが、生き残る方法があるとすれば、徹底したエリアマーケティング、徹底した「御用聞き」活動なのでしょう。
 フタバ図書やジュンク堂では、対象が大きくなりすぎるので、戦略としてとにかく本を多く揃えることや、複合化、広域エリアの囲い込みの方向というのも理解が出来ます。
 私自身、本屋は街の文化の核であってほしいと思います。いつも身近にあって、小さい子どもの頃から本屋に出入りし、本を買うということが、日常の風景あるいは習慣であってほしいと思います。
 情報のつまった本を買うことで、情報に、中身に金を払う、そのことでさらに我々の生活が豊かになる。こうした経済活動を通じた行いが、文化を築き上げてきたのでしょう。
 今、一番問題なのは、きっとその拡大再生産、あるいは地道な積み重ねのベクトルが、ひょっとしたら悪い方向に向かいつつある、ということなのではないでしょうか。ブックオフ等の存在が仮にその動きに荷担しているとして、しかしながらそれらに対抗する新たなアクションに関しましては、今回十分に言及されていなかったのではないかと思います。もちろん、その問題点を明らかにしたことだけでも、重要な発言であったと思いますが。
 世良氏の発言で、そのときは接客についてのことでしたが「比較は同業ではなく、他のお店、遊園地等々」ということは、本屋のあり方そのものにも言えるのではないかと思います。誰でも字は読める。しかし、読者とイコールではない。字を読める人、をターゲットにしては、あまりに絞込みがなされていない。発想の転換で、読者とは少数民族で、そこに向けて徹底的な攻勢をかける、という考え方もあるでしょう。その部分に何らかの変容が生じ始めているとしたら、個別の本屋の切磋琢磨は大事でしょうが、本屋対非本屋という構図で考え、いかに本屋の側に読者をひきつけるかを議論する、あるいは智恵を出し合う必要があるのではないかと思いました。



商品としての本
櫻井篤(ゾディアック)

 同じ大型店でも、フタバ図書とジュンク堂の考え方、やり方が対照的で面白かった。再販に関しても、パネリストの皆さんが危機感を持って考えられているのが感じられた。皆さん、本が文化であるという気概をもって本を販売されているということが分かった。
 ただ、あまりそれを強調されすぎると、ややもすれば権威的になりすぎるのでは。本といえども、消費者に販売する以上、商品としての側面を持っている。再販やブックオフなどの問題について文化的な側面をあまり強調しすぎると、むしろ読者の反発を買うのでは。その結果変えるべきでないものが変化したり、多少の修正ですむものが撤廃されてしまっては困ります。


もっと具体的なテーマを
匿名希望

 このようなシンポジウムが開催されることはとてもとてもいいことで、今の出版界にとっても大切なことだと思います。が、今回のシンポはテーマが大きすぎて(バクゼンとしすぎていて)、つまらなかったです。「欲しい本が書店に入り、出版社への返品が少なくなるにはどうしたらいいか」などの具体的なテーマがあればよかったと思います。また、今たいへんなのはリアル書店なので、それを応援するようなテーマがいいと思います。パネリストに出版社の人も入れてください。福嶋さん以外のパネリストに魅力がなかった。
 とにかく、テーマが大きすぎたのが、失敗だと思います。「再販」とか「返品」とかテーマを絞って、ぜひ来年も開催してください。それと、第2分科会にも出たかったので、来年はパネルディスカッションと分科会の時間をずらすとか、二日間やるとかしてください。


 

11月5日アップ分



書店の「人間感覚」
八鍬典子(福音館書店)

 重松氏の講演は、忘れていたものを思い出させてくれる。たしかに私の子ども時代の書店も、まったくそういう場であったのだが・・・「大型化する書店」と「人間感覚」は、どこまで切り結べるのか?
 パネルディスカッションでは、個々のパネリストが平行してものを言っていて、話が交差していないのが残念であった。業態が違いすぎていても、共通の話題で議論してほしかった。フタバ図書の世良さんに共感すること大である。それと、聞いている人にパネリストの顔が見えないのは良くない。壇上にすべきだった。


取次からも参加すべき
土屋明祐(東西哲学書院)

 多少テーマ設定が広かったかなと思いました。また、取次の方も参加すれば、より一層盛り上がったと思います。今まで考えていたことの整理もでき、また新たな視点も見つけられたように感じました。
 東京でシンポジウムをやっていただけたので、やっと「本の学校」に参加することができました。パネルディスカッションでも話が出ていましたが、書店人の能力開発に役立つようなイベントもやっていただけたらと思います。 


11月4日アップ分


もっと突っ込んだ話が聞きたい
鴨下善幸(飯田橋書店)

 私は基調講演とパネルディスカッションを聞いたのですが、分科会もそれぞれ興味があり時間をずらしてやっていただければ全部参加できたのにと思っています。
 パネルディスカッションでは各店の立場の意見が出て、大変面白く拝聴いたしました。が、IT関係の話が多かったような気がします。そういう話なら、安藤さんたちのbk1などの方が強いに決まっているので、本来は「再販問題」や「新古本問題」についてもっと突っ込んだ話をして欲しかったと思います。(何と言っても世良さんがパネラーになっているんですから)永江さんの質問もちょっと優しすぎたような気がします。喧嘩を期待したのではなくて、業界にくわしい永江さんがせっかく司会をされるのですから、するどい質問があっても良かったのではないかと思いました。
 最後に参加者がどうも書店人と出版者が多く、取次(地方小の方はいらっしゃいましたが)や著者が居て初めて「業界」の問題にそれぞれの立場の意見交換が出来たのではないでしょうか。
 会場の問題として音響設備があまり良くなくて、一部話が聞きづらい時があったようなので、ホールのような会場であればもう少し聞きやすかったのかなと思いました。 ただし、あの参加費でこのようなベストともいえるようなパネラーの話が聞けた事を考えれば致し方ないのかもしれませんね。以前、書店大学などに参加しましたが、あれに比べると内容は上回っていて破格の費用で聞くことができたということで充分お釣りが来そうです。


11月2日アップ分


大きな推進力
野崎保志(青弓社)

「本の学校・大山緑陰シンポジウム」−それはこの業界に現われたひとつの渦潮であると認識していた。業界三者と言われる出版社・取次・書店だけでなく、図書館・読者、そして著者まで巻き込んでの議論の場はかってなかったし、そうした場そのものを求めていた人たちが、あれほどたくさんいたということを証明して見せたのである。
 本をつくり、売り、そして読む、このプロセスに関わるすべての人たちが集まったとき、出版業界のしたたかなしぶとさが蘇り、衰退に歯止めをかけ、さらにこれからへの大きな推進力になることは想像に難くない。私自身は場所の遠さや、諸般の事情でなかなか参加することができなかった。しかし、この「動き」をいつも身近に感じ、議論の内容を追体験してきたのは私だけではあるまい。
 今回の東京でのシンポジウムの成功は、昨年までのそれとはまた違った意味で新しい一歩を踏み出したと言えるのかもしれない。場所を限定せず、いつでも必要に応じて、柔軟に展開していく可能性を示したからである。懇親会に集まった顔ぶれ、そしてその発言が、この催しが残したものの大きさと、人的ネットワークの広さをものがたっていた。
 こうした議論の場の保証と、結果としてのさまざまな課題への認識の深まりそしてネットワークの拡大再生産が、よりおもしろい展開へと連動していくことを信じる。私自身、その場に立ちつづけていたいと願っている。


何を捨て何を守るべきか
徳田慎一郎(勁草書房編集部)

第2分科会
凡庸で陳腐なネット話を聞くことよりも、地に足をつけて歴史の話を聞くことのほうがやはりいかに有益であるかを痛感した。
われわれが奉じている「神」の正体を考えることこそが、いたずらな楽観でも、むやみな悲観でもない道につながっているということだろう。何を捨て、何を守るべきかが問われているのだ、とあらためて考えこんでしまった。


あとは自分で考えていこう
甲川純一(甲川正文堂)

 大正9年から昭和の初期までの10年間で日本の近代出版流通システムが形成された。それを可能にしたのが、膨大な読者の誕生と本の価格破壊による読書マーケットの誕生だった。
 膨大な読書人口は、明治以降の立身出世主義の源が読書による新知識の吸収だ、という価値観が生んだ。その背景には江戸時代後期からの庶民文化に寺子屋やお店(おたな)での読み書きソロバンという実学教育の普及があった。
 この読書需要の爆発に供給体制が整っていく。相次ぐ雑誌の創刊や書籍の新刊が、著者の争奪戦を起こし、原稿料の高騰を引き起こす。文筆家、特に文学家は清貧生活から豊かになり、世間に知らしめられ、憧れる青年文士を排出することになる。かくして書き手と読み手の大量蜜月期をスムーズに演出する流通システムとして、(教科書供給システムをモデルに)近代出版流通システムが生まれる。定価販売、返品制度などなど。
 パネラーは、近代流通システムの論者である小田光雄氏と、実証性豊かな山本芳明氏と、選の妙を得ていた。時間配分も3時間中1時間を質疑に当てるなど、大いなる工夫を感じさせるが、如何せん絶対時間が少なすぎた。
 分科会終了後の懇親会で、山本氏と、読み手と書き手の誕生史を外国と比較するとか、流通システムという下部構造が作家や読者といった上部構造を創るプロセスなど、足早にお話願ったが、かつての大山シンポの様に、外は寝静まる木々の闇につつまれた宿に泊まり込み、時間も制限されずに体力に任せて話しあえれば、もっと豊かな成果を得られたのに、と残念だった。
 では、21世紀の書き手と読み手はどうなるのか? 読書環境は情報環境に吸収されつつ見えるが、マーケットはどうなるのか? あとは自分で考えていかねばならない。そのためにも、折角の出会いのチャンスを手紙やメールを使って、末長くご指導頂きたい想いで帰阪の新幹線に乗った。


皆さん、本気で語ってくれて・・・
鎌田純子(株式会社ボイジャー)

パネルディスカッション
 書店の現状はとても苦しい。客注はオンライン書店に行き、雑誌やコミックはコンビニに奪われ、いったい町の書店は生き残れるのか?のっけから司会の永江朗氏は、出版はお先真っ暗闇ですぜ、と挑発的に切リ出した。
 パネラーの皆さんの反応に興味津々でしたが、皆さん、本音で語ってくれるんだもの。じつに刺激的でした。
 巨艦フタバ図書の専務は、話をまとめると、当店もはや本のみにて食うにあらず。ビデオやゲーム、文具で半分近くまでなっている。書店というのは何もせずとも自然と新商品が来る珍しい商売、だから新刊目当てに自然とお客が集まる構造ができていて、これが他の商品の売上に好影響を与えている。この発言にはおどろいた。ここまでズバッと言うのはすごいぞ。そこまで深刻なのか。
 次にジュンク堂、池袋の副店長は威勢がいい。なんたって阪神大震災を生きぬいた店だ。俺たちの店は本揃えで勝つ!必ず1冊は置く。しびれるなあ、その意気ごみ。
 南洋堂。悠然とわが道を進む。店作りも客への対応もマイペース、マイペース。ITだってへっちゃらさ。オンライン書店も三年前からやっていてノウハウを活かしてきただけ、自然な結果だそうだ。歴史があって、なおかつ等身大の安心感があった。
 ブックス隆文堂の二代目店長にも、しびれたなあ。地元の客の生活を見つめて、その人ごとにあわせて本を売り込む。客をつかんだらはなさない。商売は日々精進なんですね。
 最後に会場から質問が2つでた。再販と電子本について。注目のテーマだが時間足らずで、ほとんどパネラーの話しがきけなかったのが残念。
 フタバ図書の専務/世良氏は電子本を読むと目が悪くなるからダメだと言っていたが、本だって読みすぎれば目に悪いし、ビデオもゲームも目は悪くなるんじゃないかなぁ。


異色のパネリスト発見!
國岡克知子(編(あむ)書房)

 第1部の重松清さんの「こどもを書店に放り込め!」ではご自身の子ども時代の本屋のおやじとの駆け引き、万引き体験などを楽しく聞かせていただきました。
 第2部分科会A「作家はどのようにつくられ、読者はどのようにつくられたか?」を、第1部以上に興味深く、面白く拝聴させていただきました。パネリストのお一人、山本芳明氏の<作家はいつから食えるようになったのか?>という問題提起はめったに聞いたことのないもので、作家(小説家)の代金回収システムを歴史的に検証して、資料も貴重な部分をコピーしていただきありがたく思いました。
 山本氏の説明によると、作家が食べられるようになったのは大正9年(1920年)前後。大正8年に『改造』などの新しい綜合雑誌が生まれたのが転換点だったようです。それまでは作家といえば貧乏が当たり前で、純文学者「餓死」論まであった様子。純文学は今もむかしも貧乏なんだな、これじゃやっぱり大衆文学か中間小説に小説家は行っちゃうよねと感じました。夏目漱石の印税も発行部数もとんでもなく少なく、びっくりでした。こんなに収入が少なくては性格もゆがむなあ、と妙に納得したのです。
 また、版元として興味があったのは、新潮社や講談社など現在の大手出版社を興したのが地方出身者であったこと。新潮社の佐藤義亮さんのケチぶりも赤裸々にされて、「やっぱりケチじゃないと大もうけはできない」と改めてかんじたのでした。そういえば、『戦後翻訳風雲録』(宮田昇著)を読んだ時も早川書房の設立者、早川清氏のケチぶりに感心してしまいましたが。山本氏がなぜこういう作家の代金回収システムを研究しているか、その答えは自分もお金勘定が好きだから、ということで、こんなふうにお金のことをサラっといえるのはすごいことだと思います。
 ともかく、「本の学校」のシンポジウムで異色のパネリスト、山本さんを発見したのは収穫でした。最後にシンポジウムを企画準備してくださった関係者のかたにお礼を申し上げます。


石風社の書評作戦は印象的
金丸弘美(ライターズネットワーク代表)

 沖縄のボーダーインクや福岡の石風社のことは噂に聞いていたので、お目にかかれることを楽しみにしていた。嬉しかったのは、各地の本作りが地域に根ざしているように、その顔が個性的で、直接、声を聞けたことだ。 とくにボーダーインクの宮城正勝さんの雑誌『WONDER』が予算32万円で29号まで出ていて、電話一本で頼める2,3万円の広告でまかなわれていること。地方FMの番組のリスナーからのFAXの返事でまとめた単行本がパート5まで出て好評であること。若い書き手をどんどん生み出すことで、それが突然化けることがあること。学校の先生に頼むような本は、部数が読めるが、それだけで面白くないということ。直販で本を売っていること、といった話しだった。
 また、印象に残ったのは、福岡の石風社の福元満治さんの、書評作戦。年間の広告予算が150万円しかないなか、手書きの手紙で書評掲載の確率を高めているということ、などである。
 地方の個性的な出版の行動と発想は、おおいに見習うことがたくさんあった。部数としては1000部から3000部というのうがほとんどだが、これは逆に小回りも効くということである。
 僕のように東京でおもに本をつくっているものにとっては、8000部以上の本、しかもそれもだっと流れていってしまいがちのものが少なくない。もっと作り方も売り方も本の1冊の個性にあったものがそれぞれにあるはずだ、そういう意味で、可能性をおおいに感じた。これからもっと地方出版が、業界外のグローバルな視点をとり入れ、自分達のよって立つことを再確立すること、東京の出版編集者は、地方出版の個性の部分にもっと注目してもらうこと、その双方の橋渡しは、今後、さらに積極的に行われるべきだと感じた。欲を言えば、司会は他に任せ、個性派の安倍甲さんにも、語って欲しかったな。


出版界はなんと不透明!
及川ゆき子(青空文庫工作員)

<分科会2>
 近代文学史の中の経済的な側面と、市場を支えた神話の成立の過程については、今まできちんと聴く機会があったとしても、私は見落としていたと思う。読者としてのみの立場だったらおそらく知りえなかっただろう。
 大正後期と昭和中期に起きた2度の「文学バブル」で作家は職業として成り立つ、もしくは成り立つと思わされるようになったが、今はそうではなくなっている。(研究者も作家も目を向けようとしないが。)
 そして、「貧乏な作家」「売れっ子作家」この二つのイメージは、読者・出版社・作家・取次・書店が作り支えた神話の中にあること。全ての産業には一生があり、それは出版界も例外ではないこと。等々。メモを取る手を止めて、聴き入ることもしばしばあった。
 それは、本当に知らなかったことばかりだったからだ。
 「経済についても、苦労からの立ち直り方についても、本当のことは社史には何も載っていない。」と言われたが、これが事実だとしたら、ずいぶん皮肉なことだと思ってしまう。
 ここで書いていいのかわからないが、出版界はなんて不透明なのだろうという印象が今も抜けない。

 体調不良の為に全て聴くことが出来なかったのが残念。できれば昨年と同様に、速記録が出てほしいと思う。


机2個分の工夫を
盛田真史

 28日(土)に行われた「本の学校・神保町シンポジウム」の感想をお送りさせていただきます。昨年の大山に参加した友人から「すごくおもしろかった!」ってな話しを聞いて、今回、参加させていただきました。
 私はライター+自前メディア(ミニコミ)の主宰者なので、「出版社」や「書店」はいってみれば「クライアント様」にあたるわけで(笑)、非常に興味深くお話しをきかせていただきました。

 当日は、講演+分科会+懇親パーティー に参加。分科会での時間が2時間半と短かったので、“さあこれからいよいよ本音がでるかな?”というときに終わってしまい、物足りない一面もあったのですが、地方出版や本屋さんが現在、抱いている問題意識の概要はわかりました。

 私は「地方出版」の分科会に参加しましたが、やっぱり地方出版でも、元気のいいところは“世界”への視座を持っていたのが印象的でした。福岡の出版社は、アジア〜中央アジアもフォローしていて、アフガニスタンの日本人医師団とか、西洋史の阿部謹也先生の著作も手掛けている。沖縄の出版社は、アジア文化のなかの沖縄というのを意識しつつ、シャーマンを題材にしたものとか、若者向けのカルチャー雑誌などの作品を送り出している。「自分たちの地域のなかに世界を見よう」とか「世界のなかのこの地元の位置づけ」とか、そういうグローバルな視点を売りにしていますね。

 こういう視点って、地方出版に限らず、これからもますます大切になってくると思いました(ただ実際の分科会では、そこまで突っ込んだ話しにはならず、時間切れ。今まで山陰の米子で、2泊3日でやっていた研修会を、神保町でやるにあたって半日に圧縮したとのことですから仕方ないことでしょうが、残念)。

 ところで、要望を。
せっかく、地方出版のパネリストの方が全国や海外から来ているのですから、机2個分ぐらいのブースを作って、そこに見本誌や目録を置いといて分科会が始まる前や後に、自由に閲覧できるようにしておいたら、もっと良かったでしょうし、パネリストへの質疑応答もより具体的になったことと思います。

 欲をいえば、会場には、各地の書店や出版社が集まってきているのですから、「1分間PR」のようなコーナーを設けて、「うちの書店に来て!」とか
「我が社の新刊本を買って下さい」といったようなPRをしてもらえば、なお、おもしろいものになったことでしょう(そのあとの懇親パーティもきっとスムーズに!)。
 「本の学校」の試み自体が、“読者”にまだ存在が知られていないとか、“読者”向けの視点が不足しているという問題もあるようですが、「1分間PR」的コーナーを充実させていくことで、会場にやってきた“読者”を満足させることができるのではないかと思います。

 とはいえ、PRコーナーは本格的にやろうとすれば、仕込みに手間がかかり、人出もかかるでしょうから、さしあたっては、机2個分のブース作りあたりから着手していただけたらなと思います。
 たぶん、それだけで、ぐっと充実してくることでしょう。

 要望のしっぱなしで恐縮ではありますが、来年もぜひ開催していただければと思います。


「気」がじわじわと伝わってきた
吉田 進(日本エディタースクール出版部営業) 

本の学校・神保町シンポジウム2000  分科会「年一回神保町に集まろう地方出版」に参加して
 過去の大山緑陰シンポジウムについては, 業界に身を置く一人として関心は持っていたものの, いかんせん, 遠すぎることが最大のネックとなって( 熱意に欠けると指摘されればごめんなさいなのだが) 一度も参加したことがなかった。
 今回, 東京で催されるという情報をたぶん地方小出版からだと思うが聞き, ちょうどその頃, この度小社から刊行した『田んぼの隣で本づくり』(10 月27日取次配本・本体1,600 円 ぜひ御講読を) の企画が進行しつつあった頃でもあり、その本の著者・あんばいさんがその分科会で司会をするとの話でもあったので, 参加するには良い機会だし、これは間に合わせて売らねばなるまいというのも、正直、参加する大きな動機でもあった。
 2 時半から始まった分科会では何もいい話のない東京の出版界の状況をたぶん反映して,暗い雰囲気で終始するのでは, という懸念もなくはなかった。 が、 そこはやはり現場で力一杯, 頭を使い工夫をしてやっておられるパネラーの方々の元気な姿を見ることができた. 起業者( でない方もおられたとおもいますが) としての, 「気」がじわじわと伝わって来る会でした。
 石風社福元さん, わが社も同じく広告料が無い中, どのように新刊を知らしめるか, 参考になりました。ボーダーインク宮城さん, 先生と呼ばれるひとに頼らない。無名は化けるかもしれない。ロマンがありました. 吉備人出版の山川さんがんばってください. 崙書房小林さん, 東京と流山の話よかったです。クロスメディア丸茂さん, 面白いお仕事をされていて興味深かった。門野さんこれからもよろしく。あんばいさん御苦労様でした。すぐ, 重版だと思いますので準備よろしく。


10月31日アップ分


子供は書店に吸い込め
石川 修 (大塚・田村書店店長)

テーマ 基調講演 (重松 清) 
 [ 書店という場所 ] がすごく好きだった。 と 、重松さんはなつかしそうに語ってくれた。
 重松さんの少年時代の本屋さんとの出会いは 、すごく素敵なものであったと思う。
 私も、子供の頃、[書店という場所] が大好きで、家から2キロほども離れた駅前の書店によく歩いて通いつめたものです。
 父親にしかられ家から飛び出し、どこにも行く場所のなくなった私が最後にたどりつくところも本屋さんでした。 
 そんな子供にとって一番居心地がいい場所であった本屋さんが、いま子供にとって魅力のない場所になってしまっているのではないか。そんな気がすると重松さんは心配されていた。
 寂しいことだと思う。 私は、本も好きだが、何よリ 『書店という場所・空間』がすごく好きです。
 そこにいるだけで人間が幸せになれる場所でだと思います。 そして本屋さんがかつて持っていた魅力は必ず取り戻せると信じています。 そのためには、ピカピカ輝くようなすばらしい本と、安心して本と出会えることのできる場所が必要だと思います。 どちらが欠けて もダメだと思います。そんな二つがそろった書店に少しでも近づければ、と自らの原点に立ち返ることができた一日でした。
 考えてみれば、私の働く書店も、駅前にある書店です。 少年の頃の私や重松さんのように、駅から離れたところから、通ってくれている子供は何人いるのだろう。 心配です。 子供が書店に放り込まれるまで、待っているのではなく、『子供は書店に吸い込め!』これですね。 がんばりましょう!


高橋さんの意見をもっと
胡 正則(ニール編集制作事務所)

 もし、私が「普通」の書店の経営者だったら、第二部の高橋小織さん(国分寺・隆文堂社長)のご意見をもっと聞きたかったでしょう。
 フタバ図書さんは、広島県内ですでに確固たるポジションを獲得しているし、ジュンク堂さんは後発ですがナショナルチェーン店として業界内に一定の「勢力」をすでにお持ちです。また南洋堂さんは特化型で「汎用性」という観点から考えると参考になる書店さんは少ないでしょうね(主催者の方はバランス、多様性をお考えになったとは思いますが)。
 もちろん少なからず、それぞれ示唆に富んだお話や将来に向けてのヒントなどを感じましたが、上述したような背景があるのかどうか定かではありませんが、全体として議論の転がり方がブツブツ切れる感じで、議論の対立あるいは共鳴という「場」のダイナミズムがいまひとつだった、という印象です。
 いま出版流通の中で、最もむずかしい局面を迎えているのが、隆文堂さんのような書店だと思うのです。「地域密着」というお考えは理念的には理解できますが、それをどう具体的にお店の売り上げにつなげていくか、という真にリアルな議論を個人的には期待していたんですが・・・。
 パネリストがあまり多すぎても運営に破綻をきたしますが、出版社や取次の方が参加されると、また違った展開もあったかと思います。


地方の版元と会えた
渡辺弘一郎(雲母書房)

分科会1の感想
 独自の企画、販売戦略、それぞれの知恵で出版活動をされている地方の版元の方々にお会いすることができましたが、参加者も多く、細かな質問も多かったので、時間的に短すぎたようです。まあ、1日中やるわけにもいきませんが。兎にも角にも、これだけ多くの地方の版元の方々にお会いできるということは、そうあることではないので、今後の人脈ということでも、極めて有意義でした。

シンポ全体についての感想
 分科会1と懇親会、レストランアミでの二次会だけの参加とさせていただきましたが、ある程度人数が絞られた分科会1の懇親会では、話がしやすくなりました。
 来年も是非神保町での開催をお願いします。


近代史をふりかえる時期
小山美和(東京大学出版会)

 第2分科会は、「作家と読者はどのようにつくられたか」がテーマ。講師の一人山本さからは、「大正9年」をひとつの転機として考え、ビジネスとしての「出版」の盛衰について近代史をひもとくかたちで紹介された。もう一人の講師小田さんは、取次がはじめて台頭し始めた出版の「販売システム」の確立期として近代史に注目している。「出版バブル」がはじけ、産業としての出版の行方がわからない今、将来の見取り図を描くためにも近代史を振りかえることの重要性をひしひしと感じた。


2001年にもう一度シンポを
岡部友春 径(こみち)書房 営業部

 先日に開催された「本の学校・神保町シンポジウム2000」に参加させていただきました零細版元の一営業マンです。
 この度は、成功裡に終えることができたのではないでしょうか。おめでとうございました。いままで僅かながら興味があった本の学校、時間の都合をつけられずに参加できなかった本の学校が神保町でシンポジウムを開催されたのは、私個人にとって、大変喜ばしいことでありました。また、昨今の出版業界の状況を鑑みると、業界の人間が多く集まっている東京は神保町で開催されたのはとても有意義なことだったと思います。

 神保町ブックフェスティバルに併せて開催しようと計画された、地方・小出版流通センターの川上さま、bk1の安藤さま、文化通信社の星野さま、そして本の学校の関係者のみなさま、そして陰ながら今回のシンポジウムを支えられたスタッフのみなさまに心より感謝いたします。ありがとうございました。

 2002年に開催される「夢フェスタとっとり」の出版文化展の前、2001年にもう一度本の学校のシンポジウムを開きたいです。いままで本の学校に参加していた若い人たちを中心として。その一人になりたい、陰ながら支えていきたいと考えている今日この頃です。

 では、最後に参加したシンポジウムの感想を簡単に。

基調講演
 重松さんのおはなしを聞いていて、小学校、中学校の頃のことを思い出しました。小遣いをほとんどもらえずに、日曜日の午前中は本屋に行って立ち読みをしていたなと。
 現在の街の本屋は、子ども一人ではなかなか入ることができない気がします。子どもが一人でも友達と一緒にでも入りやすい環境を作ることが必要なのかなあと感じました。
 また、昔通い詰めた書店のことは私も忘れられません。いろいろな思い出が思い返されました(重松さんと違って、私は万引きはしませんでしたが)。

パネルディスカッション
 メインテーマが「読者・街・書店」ということでしたが、読者の意見らしきものが前面に出ていなかったように感じました。
 「取次さんがメールアドレスを持っていない」という意見が出てましたが、書店さんも各店ひとつはメールアドレスを持つように努力されてもよいのではない
かと思います。これは、フタバ図書の世良さんがおっしゃっていたことにも関係するのですが、「イニシャル・オーダー」という言葉を何度か使われておりました。地方への営業ができない版元としては、FAXでは書店さんで紙を浪費してしまう、郵便でのDMは時間と費用がかかってしまう、電話では何時頃に連絡すればよいのかわからない、といった問題点を無くすことができる解決方法のひとつではないかと考えます。実際に書店名を挙げてよいのかわかりませんが、八文字屋さんが既に始めています。読者からの問い合わせに関しても、文章にすれば確実に気持ちなどが伝わると思います。

失礼しました。乱文お許しください。


リアル&バーチャルの戦略こそ
草g主悦(広文社)

 司会の永江朗氏が『季刊・本とコンピュータ』2000年秋号の「オンライン書店の新しい選択」の中で絶賛していた通り、南洋堂書店の姿が街の書店に一番参考になったのではないのか?!なぜならば、街の書店にとってジュンク堂書店やフタバ図書のような巨大書店への転身は雲の上の話であり、実際に第2部の休憩時間中、会場から「私たちには真似できない」との溜め息が聞こえてきていた。とはいえ南洋堂書店が一朝一夕で今日のような専門書店を築いたのではないことも本日の荒田氏の説明で充分理解でき有意義であった。
 まだまだ書店業界では「オンライン書店憎し」の風潮があるようだが、リアル書店対オンライン書店という構図ではなく、南洋堂書店のようなR&B(リアル&バーチャル)戦略こそ21世紀の書店戦略には不可欠であると思われる。またフタバ図書の世良氏が「CDやビデオなどは2ヶ月前から新作の発売日程が決まっているので事前の予約活動が展開しやすいが、本の場合、発売の3日前にならないと確かな情報が送られてこないので事前の販売活動ができない」との指摘は、出版社の立場の私にとって最も反省させられる事案だ。既にbk1をはじめオンライン書店を中心に「書籍の予約販売」は成功しているので、近々リアル書店を含め実施していきたいと思う。ジュンク堂書店の福嶋氏が「読者の心持ちが変化している」との指摘も考えさせらた。
即ち「情報は無料で入手できる」という考えがひろがっているので、週刊誌のような読み捨て情報は、インターネットや座り読みを許可しているジュンク堂書店で充分という人も増加していると言うのだ。
 出版社としては、デジタルコンテンツも含め書店・読者へ情報開示はするが、それだけで読者に満足されないように、きちんと購買に結びつく販売手法をリアル&オンライン書店双方と協力して考えていきたいと思う。


書店が好き!それをWebで
馬場進矢(オンラインブックストアbk1 児童書・絵本担当)

基調講演(重松清)
 重松さんとその奥様は、年間100冊以上書籍を購入されるそうで、その内の半分は、なんとオンライン書店を使われるそうだ。その重松氏曰く、「コミックスにシュリンク(ビニールパック)を使うようになって、何かが変わった。それは、お客様と書店員との関係が希薄になったということです」とのこと。それはその通りだなあと思った次第。
 僕の勤めている書店はオンライン書店なので、コミックスはもとより、全商品が立ち読みできない。ただ、それを補うためにいろんな仕掛けを施している。しかし、それはあくまでも大人に向かってのもの。「子どもに対して、どのように本を紹介し、買ってもらうか?」ということは、児童書・絵本担当の僕はずっと考えている。氏はこうも言う。「子ども時代、一軒の書店でいろいろなドラマがあった。同じ本を買い求める客に同士意識を感じたり、立ち読み時に、店のオヤジからの「そろそろいいかげんにしろよ」という視線との駆け引きとか。人にとって一番馴染みのある‘店’とは、書店なんだと思う」。
 今後、小学生が自宅のパソコンでインターネットを観るというのが普通の時代になると思う。その時、我々オンライン書店員が、オンライン書店というスペースで、どのように子どもたちにドラマを提供できるのか。この困難な課題を、今日の講演会で提示された思いです。
 僕も子どもの頃、書店が好きだった。そんな店をwebで実現させたい、と思う。


意識的に思わぬ出会いを演出
笈入建志(千駄木・往来堂書店店長)

1)基調講演について
 重松氏の書店原体験はたいへん示唆に富んだものでした。書店は単に本が買えるだけの場所ではない。迷いながら一冊の本を選ぶ時間を過ごす楽しみ、自分から未知の世界に足を踏み入れる時のスリル、子供にとって大人の本に触れることで促される健全な背伸び、それらを可能にする本が圧倒的な量で目の前に存在することの幸福感。経験経済という言葉もありましたが、本屋へ実際に行くことでしか味わえない経験を演出する事の大切さを再認識しました。便利な物がどんどん出てくることは当たり前で、書店もその点で出来ることは積極的に取り組むべきでしょう。しかし、どうしてもかなわない部分があるとすれば、書店ならではの楽しさ、居心地の良さ、さらにあそこならいい本があるはずという期待感、思わぬ出会いなどを意識的に演出し、アピールしていく事が最重要課題となっていくと考えます。

2)パネルディスカッション
 「読者・街・書店」についてご参加の方々がその方法論において四者四様で、それらを聴くことが出来た点では興味深いものがありました。それぞれの店がどんな顧客をターゲットにするのか自覚的に、かつ戦略的にならなければ生き残れない時代が来ていることだけは確かなようです。厳しいと同時に生き残った所は個性的であるというイメージで、希望だけは捨てたくないと思います。オンライン書店との関係では、やはり偶然性の演出が重要なようです。「あそこには何か(読むに値するものが)きっとある」と思わせることですね。

3)懇親パーティーについて
 佐野眞一さんとお話できて大感激。『だれが本を殺すの』(プレジデント社刊)は来年の初荷だそうで、今から待ち遠しいです。


頼りになる書評誌が欲しい
内山裕子

 28日の本の学校シンポに参加させて頂いた内山裕子と申します。鳥取までは参れませんが、東京の催しに参加できて、とても嬉しかったです。都合により、途中で抜けましたが、後ろ髪引かれる思いでした。どうも有り難うございました。

 1つだけ気になりましたのは、永江氏が、アメリカでは時間をかけて本を売る、書評家に先ず本を送って取り上げてもらってから発売するとかおっしゃっていたことです。確かに、もっと時間をかけて浸透をはかって頂きたいのですが、本好きには誰もまだ推奨しないうちに自分で本を選んで読んでみたいという気持ちもあるので、大新聞の書評欄担当者さえ、スタートは一般読者と同じというのは平等なことで、良い面もあります。

 ただ余りに出版数が多いので、新聞広告に載らなさそうな本について発売前に書評を読めるというのは必要なことだとは思います。そういう頼りになる書評誌がないというのが、残念に思うところです。

以上です。


10月29日アップ分


公共図書館のブックオフ化
大森輝久(放送大学図書館)

 小田光雄さんは、本が消費財化されたことに関して、ブックオフと公共図書館の1980年代以降の隆盛をパラレルに捉えておられた。全国に公共図書館が2400館ありながら、小田さんの出版社への注文は120館ぐらいしかないという報告もあった。ブックオフと公共図書館をパラレルに扱うと、図書館界で反感もあるだろうが、私も公共図書館のある部分はブックオフ化していると見ている。
 東京の公共図書館は全国的に見ても貧しい。東京ではブックオフとTSUTAYAとちょっとした本屋があれば、あえて公共図書館に足を運ぶ必要はないと思える。ブックオフは「本を文化財と見なさない」ことでマーケットを作った。東京23区は「文化財を扱う人間と見なさない」職員として図書館員を作った。だから東京においてはとくに、ブックオフと図書館の構造がパラレルになっている(雑誌『みんなの図書館』(2001年3月号)で、「東京23区の図書館」を特集します)。
 私個人は、ブックオフをありがたいと思っている。80年代に図書館で読めなかった本が、缶ビール一本以下の値段で手にはいるのだから、重宝している。本来なら、図書館で読めるべきだったと思うが。


意外に近い、地方出版と電子出版
萩野正昭(ボイジャー)

 私は電子出版を推進しているが、地方出版の独自の実践が私たちの未来と深く関係しているように思えて、有益だった。ほとんど無縁だと思われている両極端の二者であるが、じつは大きなヒントがここにあるようだ。


「情報」というキーワードを深めよう
別府章子(偕成社)

 書店にフォーカスされた内容であったけど、取次にも参加してほしかった。世良さん、福嶋さんの話は興味深い。たしかに、オンライン書店は楽なようで、私たちは個人情報を取られているのだから、「情報」というキーワードで、もう少し突っ込んだ話し合いがなされるとより湧いたと思う。
 今回のシンポが神保町ブックフェスティバルと合わせて、東京で開かれたのは、とてもいいことだったと思う。読書週間を一般の人たちにも印象づけることにもなるし、週末でもいろいろな楽しみがあるので、一日中、神保町・お茶の水で遊べます。今日も第一部と第二部の間に、神保町の屋台を冷やかしに行きました。


出版共同倉庫を実現させよう
大江治一郎(東京大学出版会)

 パネリストの話はそれぞれおもしろかったが、もっと会場とのディスカッションが行われるものと思っていたので、若干心残りだった。
 取次の在庫データ開示の話が出たが、現に「本やタウン」などで明らかにされている。ないのは、取次に在庫のないもの、および調整品(これは技術的にむずかしい?)だと思う。問題は出版社が在庫データを公開していない(できない)ことだ。情報化とオンライン書店の進展、取次のWeb倉庫など、取次を含めた共同倉庫(初期の須坂構想)実現のための条件が揃ってきた。今こそ業界あげて取り組むべき時だ。


家族旅行でも書店へ
匿名希望

 私も書店という場が好きで、旅行に行っても、いつの間にか、書店へ入っている。最近の夏休みの家族旅行は、街へ買い物に行っても、最後はみんなで本屋へ行って、それぞれ好きなコーナーで楽しんでいる。だから重松さんの講演には共感しました。
 パネルディスカッションでは、4つの書店の中で、フタバ図書さんが焦っているという印象だった。今、一番危機的状況にあるのが、フタバさんのようなチェーン店だと思う。店舗数が多く、中央店の気持ちが末端まで伝わらないし、一店一店は自由に動けないしで、なかなかうまくいかないように思う。個人的にはそのへんの解決策というか、意見が聞きたかったように思う。世良さん、頑張ってください。書店で働くなら、福嶋さんのような方についていきたいなぁと思いました。