今月のコラム
 ルデュ村訪問記

能勢 仁

 神田・神保町の古書街と同様の村がベルギーにあることを聞いて、最初から今回の欧州出版事情視察の計画に
くりこまれた。フランクフルトからルクセンブルグを経由して、ベルギーに入りルデュ村に向かった。
前日はルクセンブルグ、ホテルノボテルに宿をとり翌日9時に出発、約1時間後にバスは現地に到着した。
この村は何の変哲もない農村である。
この村が世界的に有名になったのは、ベルギーの事業家ノエル・アンスロー氏(69)がイギリスのウエールズ地方へ
釣りに出かけたとき「本の村」として知られる“ヘイ・オン・ワイ(Hay−On−Wye)”という小さい村に出会い、
自分もこれと同様の村をつくりたいと考えたことに端を発している。
 10時に現地に到着、ウイークデイであるが既に観光バスが一台到着していた。フランスから来たバスである。
ルデュは車でブリュッセルから1.5時間、ルクセンブルグから1時間、オランダやドイツのルール地方から2時間、
パリから3時間と各都市から近い足場にある。
観光バスから降りた外人をみると高年者の多いことに気付く。リュックを背負う人、帽子をかぶり散策スタイルの夫婦等、
余生を本と共に生きている感じである。
 我々はバスを降りて最初に訪問したのは紙漉きの実演をみせてくれる書店である。
経営者は紙を漉いて40年のベテランである。紙を漉く道具は60センチ×90センチの木枠である。
真ん中に仕切り板を入れれば一度に2枚分取れる。4枚どり、16枚どりも仕切り具合で可能になる。
名刺サイズに出来る木枠の道具もあった。
 60センチ×90センチの大きさの紙を鋏で切って小さくすることはしない。
枠で形を作りそして職人さんは自分のサインを入れるのである。これを彼らはウオータ・マースと呼んでいる。
水を含んだ紙はプレスされるが、その際紙の上に動物の皮をのせ、プレスして水分を除くのである。
この結果、紙の片面は粗く、反面は細かくなるのである。
漉かれた紙200枚を重ねて一晩プレスすると翌日には半分の厚さになり、そして紙と皮を分けるのである。
翌日紙漉き工房の2回の屋根裏部屋に移し、3日間乾燥させ漉き紙ができあがるのである。
 彼らは1100年十字軍が紙の製造をもたらしたことに誇りをもっている。今彼らが使っているのは11世紀の道具であった。
この紙漉き工房の経営者はフランスで紙漉きを学んだ。最初の3年は無抵抗で学び、次の3年間はコンパニオンとして仕事を
覚え、その後5年で自分のサインをのせることが出来ると語ってくれた。
一人前になるためには15年の辛抱が必要と強調していた。彼は今この仕事をやって40年目である。
 紙漉き工程を見てから店内を一巡り。みやげ用の手漉き紙も売られている。もちろん製本された本も販売されている。
土・日曜日は中世の伝統的な紙漉き技術を見んものと大変な賑わいである。20人も入ると紙漉き工房は一杯になってしまう。
 グーテンベルグ時代(15世紀)の印刷機を所蔵している書店を訪問する。
この書店は新聞発行を主としており、古い新聞が店内に展示販売されている。2回には1890年代に刷られたルクセンブルグ
新聞第1号があった。明治38年当時の日露戦争、日本海海戦の新聞(色刷り)があり、我々の一行の一名が購入した。
日本貨で1000円位で販売してくれた。Rudeに日本人として我々が初めて訪れたのではないだろうか。
筆者もアジアの棚の中に文藝春秋昭和32年新年号を発見購入した。表紙には贈・電通の印が押してあった。価格は600円であった。
後にも先にも日本語の本はこれだけであった。
 村の書店は元、農家の空き家、馬小屋、学校等を改造したものである。
一店一店がジャンル別にテーマを持っている。楽譜の店、海洋の本専門、アンティーク本、天文学、歴史、芸術、旅行等の
専門古書店の集まりである。現在は50店以上になり、村の中心にはレストランが2軒できていた。
本屋以外にも紙細工、エッチング、版画、装丁等の美術・工芸のアトリエもあり、活気にあふれている。
1992年には観光客が20万人を越える程になった。
 今回のRude訪問の最大の目的は、神保町と姉妹都市の提案であった。
有斐閣・江草社長の英文の親書をRude本の村責任者にお渡しした。
なお、姉妹都市云々については村の責任者De Clerck Marcel氏と永井伸和社長、八木唯貴専務(八木書店)、が会談され
友好関係を結ばれた。11月か12月に村議会に図られ応諾について結論がでるはずである。よき返事を期待するものである。
 ベルギーの片田舎にこのような本の村のあることは想像もしなかった。
村おこし運動とはいえ、十字軍以来の伝統を残そうとしている。彼らの真剣な姿に心を打たれた。