今月のコラム
  「雑誌は、生きもの」
マガジンハウス 販売部長
 久我英二
  「ザッシヲイッショニヤラナイカ」
 1945年、岩堀喜之助(初代社長)から清水達夫(二代社長)にあてたと言われる伝説の電報である。ここから
マガジンハウスの歴史は始まった。
 「平凡」「週刊平凡」「平凡パンチ」の3つの100万部雑誌を擁した「平凡」の時代から1970 年創刊の「anan」に
始まる日本出版界の大型グラビア雑誌の潮流は、「ポパイ」「クロワッサン」「ブルータス」などの時代の寵児を産
みつづけた。しかしその隆盛期にある1983年、社長・清水達夫は「第二の創業」という道を示す。そこで 語られた
「雑誌は、生きもの」という言葉はまた、雑誌には寿命もある、というものであった。そしてそれは、外から見ればお
そらくはまだまだ寿命尽きるはずのない「平凡」3誌との永遠の決別を意味していた。社名も「マガジンハウス」 に
変わる。あのとき清水の思いは、われわれ社員よりどれだけ遠くを進んでいたのだろうか。
 時は流れ21世紀を迎えたいま、出版界は未曾有の危機に直面している。マガジンハウスに「第三の創業」が訪
れるのかどうかはわからない。しかし、雑誌は生きものであるという思いは、日々「出版の明日」をわれわれに問い
かけ続ける。それは、雑誌に完成された姿などはなく、常に時代とともに変化し続けて行かねばならないということ。それがおそらく、半世紀を越えてマガジンハウスに受け継がれてきた雑誌作りの原点のはずである。