今月のコラム
 日記事始
本の学校 郁文塾
花井 満
 博文館新社の社屋は、小石川二丁目街角の木造洋館建築である。
まずはその時代風なたたずまいに少し驚いた。大橋社長の温容に迎えられ、年輪を思わせる応接間に通される。
 博文館新社は、140種類にもなる日記を主に、各種の出版活動がある。けれども私たちの関心は、営々と続けられている日記づくりであった。
 訪れたあのときのことを思い出し、大橋さんに、このコラムに日記の話をして頂けませんかとお願いした。大橋さんは、日販通信の「出版社の横顔」に、出版ジャーナリストの塩澤実信氏が書いている、それでは如何ですかと言われる。そんなことで、このコラムをはじめたらと思った。
 以下、塩澤氏からお借りした「日記事始」―私の勝手なタイトル―である。
<日本に、はじめてヨーロッパ製のダイヤリーが持ち込まれたのは、文久2年(1862年)だった。福沢諭吉が花の都パリで購入したものが、その嚆矢であったと伝えられている。そして、日本ではじめて日記を刊行したのが、近代出版の開祖・博文館創始者・大橋佐平であった。創業8年後の明治28年(1895)―いまから106年前のことである。その記念すべき第1号は、ここからスタートしたのである。以来、博文館日記は連綿と一世紀余も刊行され続け、あの潰滅的な敗戦の昭和20年(1945)にも、一頁を二分した当用日記が刊行されていた>(日販通信「出版社の横顔84回」より)
 知ってもらいたかったのは下線のところである。
この話は、あのとき、大橋さんから聞いていた。うちつづく敗戦のなかで、人々は自分を見失ってはならなかった。それは戦時下の国策とは次元が違う。日記を書くのは、明日のためのいのちを灯しつづけることであった。そんな力を、日記の刊行に託す出版社の志に感動した。明日がどうなるかわからないのに、お家芸を守り続ける意志もすごいと思った。
 井伏鱒二の「黒い雨」、あの映画でこの日記が登場するのですよ。
映画会社が当時の日記を探していたという。時代考証というのだろう。
 大橋さんは話しながら、本棚から当時の日記を取り出された。